筑波記念病院ロゴマーク 住所と電話番号
リレーコラム by リハビリテーションスタッフ リハビリテーション部
第247回:「KY」について考える
( 2008年09月02日 掲載 )
 こんにちは。今回はKY:「空気読め」という流行(はやり)の言葉(?)について考えてみました。
 KYとは「周囲の状況や取り巻く人の思惑など、そこにある暗黙の了解をまったく意に介さないような言動や考え方をすること、またその人」という意味で使われているそうです。もともとこの言葉は、女子高生のメールでのやり取りで使われ普及したといわれており、突然辞任した○○内閣が「KY内閣」と呼ばれたことでも話題となりました。

 ドライだと評されることもある平成の若者たちが、実際には「人は人、自分は自分」という観点よりも「場の空気」を優先させる傾向が強く、かなりの気遣いをもってコミュニケーションをとっている様子が伺えるように感じます。若者層にとっては「場の空気が読めない」ことは集団のノリを損ねるものとして概ね歓迎されないため「KY」と表現し、集団が個人に対して「負」のレッテルを簡便に貼れるというネガティブな側面をはらんでいる気がします。脳科学者の茂木健一郎氏によれば、『周囲に合わせるという同質化圧力はどこの国にもあり、特に思春期を迎えたティーンエイジャーにその傾向が強いことを多くの発達心理学者が指摘している。しかし、日本の社会における同質化圧力は、あまりにも強すぎるようだ。』1)と指摘しています。

 さて、そもそもここでいう「空気」とはいったいどういったものでしょうか?思うに、自分が「KY」というレッテルを貼られず無難にその場に居合わせようとする人々の総意、もしくは過敏なまでに人の言動や行動に反応するという、非常に保守的で閉鎖的、かつ過剰な緊張状態の「空気」なのではないでしょうか?

 では人が集まったときになぜこのような「空気」が生まれるのでしょうか?本来、人が集まったときには、色々な人がさまざまな考えをし、勝手なことを言い、「空気」は動いているはずです。それが閉鎖的であるのは何かおかしな気がします。恐らく、集団の中でしっかりと自己主張する、他者の意見を認めるという意味でのコミュニケーション能力不足や、先の見えない世の中で無難にその場をやり過ごそうとする保守性、「出る杭は打たれる」という言葉で表されるような排他的で陰湿な日本文化の一側面を見る気がします。また反対に過去31人のノーベル賞受賞者を輩出したケンブリッジ大学のトリニティーカレッジでは、自分の個性を追求する「変人であることの自由」を育む土壌があるというのは不思議です。

 現代の日本において、もっと自由闊達に人と関係し、人との意見の違いを楽しみ、認め合い、自己の個性を追求しやすい新鮮な「空気」が生まれてくるといいなと思います。
 そして「KI(空気入れ替えた!)」なんて言葉が流行れば日本の未来も明るいのでは!?

 [TEXT :小川 岳史{理学療法士}]

【引用文献】 1)「脳の中の人生」P144~145、茂木健一郎著、中央公論新社



前のコラム:第246回:スキンシップしていますか?

次のコラム:第248回:レコードを聴こう!


他にもたくさんのコラムがあります。
リレーコラムのトップページ(直近の12本を掲載)全記事リストも合わせてお読みください。